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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)3276号 判決 1966年9月06日

東京都北区岩淵町二丁目三三五番地 伊神方

原告 清水良子

右訴訟代理人弁護士 馬場正夫

神奈川県鎌倉市常盤三〇三番地

被告 藤本建材有限会社

右代表者代表取締役 藤本繁雄

同所 藤本建材有限会社内

被告 荻野正夫

右両名訴訟代理人弁護士 横大路俊一

右当事者間の損害賠償請求事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

被告らは各自原告に対し金二、〇〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和三九年二月三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は全部被告らの負担とする。

この判決は仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

原告訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決および仮執行の宣言を求め、

被告ら訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二、原告の請求原因

一、(事故の発生)

被告荻野正夫(以下被告荻野という。)は昭和三九年二月三日午后七時四三分頃、大型貨物自動車(ダンプカー)神一な八〇―〇九号(以下被告車という。)を運転して、鎌倉方面から大船方面に向け神奈川県道八号線、通称鎌倉街道を進行し、神奈川県鎌倉市山ノ内七七六番地にさしかかった際、反対方向から進行してきたバスを避けようと左にハンドルを切ったため、同所の道路(被告車の進行方向に向い)左側の側溝の蓋上を歩行中であった訴外清水斉宮(以下被害者という。)を、右のハンドル操作によって道路左端に寄った被告車の車体と道路に面した石塀との間に圧迫し、頭蓋骨粉砕により即死させた。(以下この事故を本件事故という。)

二、(被告会社の責任)

被告藤本建材有限会社(以下被告会社という。)は本件事故当時被告車の所有者からその使用を委ねられていた。従って被告会社は被告車を自己のために運行の用に供する者であり、現に事故を生じさせた被告荻野は被告会社の雇人であったのであるから、被告会社は本件事故に基づく後記各損害を賠償する責任がある。

三、(被告荻野の責任)

被告荻野は運転免許をもたず、本件事故当時は飲酒により酩酊していたのであるから、道路における自動車の運転をしてはならないのに、前第一項のとおり被告車を運転した過失により、運転操作を誤り、本件事故を惹起したものである。よって同被告は直接の加害者として、本件事故に基づく後記各損害を賠償する責任がある。

四、損害

(一)  被害者の得べかりし利益の喪失

被害者は、当時国会職員として参議院事務局庶務課に勤務し、事故直前である昭和三八年二月から昭和三九年一月までの一年間の給与収入は、所得税、住民税、社会保険料を差引いて金六〇一、三〇八円であり、同人の生活費は月額金二〇、〇〇〇円、年額金二四〇、〇〇〇円であった。同人は当時満三四才の男子であって、その平均余命は三六・一五年であるから、本件事故がなければ、なお三六年間は毎年金六〇〇、〇〇〇円の収入をあげえたであろうと推測される。よって被害者はその死亡によって右金額から前記生活費を差引いた年額三六〇、〇〇〇円によって計算した三六年分の収入金一二、九六〇、〇〇〇円の得べかりし利益を失ったことになり、加害者に対し同額の損害賠償請求権を有するところ、これからホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して一時払額を求めると、金四、六二八、五七一円となる。

原告は被害者の妻として被害者の父清水耕作と共に被害者を相続し、その相続分は二分の一であるから、右のうち金二、三一四、二八五円の請求権を取得した。

ところで原告は、被害者の本件事故による死亡に基づき受領した自動車損害賠償保障法による責任保険金五〇〇、〇〇〇円の二分の一の金二五〇、〇〇〇円を右逸失利益の原告相続分に充当したから残額は二、〇六四、二八五円となるところ、原告はこのうち金一、五〇〇、〇〇〇円の支払を求める。

(二)  慰藉料

原告は被害者の妻(昭和三五年七月五日婚姻)であって、本件事故に基づく被害者の死亡により多大の精神的苦痛を蒙ったもので、これを償うには金一、〇〇〇、〇〇〇円をもって相当とするが、原告はこのうち金五〇〇、〇〇〇円の支払を求める。

よって結局原告は被告らに対し各自右(一)(二)の合計金二、〇〇〇、〇〇〇円およびこれに対する本件事故の日である昭和三九年二月三日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三、請求原因に対する被告らの答弁

一、請求原因第一項の事実中、被告荻野が被告車を運転して、原告主張の日時頃、原告主張の道路上を通過したことおよびその頃同所附近で被害者が死亡したことは認めるが、その余は否認する。本件事故を惹起し、被害者を死亡させたのは被告荻野運転の被告車ではない。

仮に被告荻野の運転する被告車が被害者と接触したと認められるとしても、被告車車体と石塀との間で被害者を圧迫したことはなく、むしろ被告車の左前車輪が被害者の右側方を通過後、被害者が被告車に近寄りすぎたため、車の後輪に接触して転倒し、事故に至ったものである。

二、同第二項の事実中、当時被告会社が被告車を占有中であったことは認めるが、その余は争う。当時の被告車の所有者は訴外三菱ふそう自動車株式会社であり、使用者は訴外名和久雄であったが、右訴外会社が被告車の買手を求めていることをきいて、被告会社が試運転をしたうえ買取るか否かを考慮しようと申出たところ、事故前日の昭和三九年二月二日に被告会社営業所前の空地に被告車が持ち込まれたので、以後被告会社がこれを占有するに至ったにすぎない。

三、同第三項のうち、被告荻野が運転免許をもたないこと、運転に際し飲酒していたことは認めるが、その余は否認する。

仮に被告荻野の運転する被告車が本件事故を惹起したものとしても、それは前第一項記載のとおり、被告荻野から被害者が見えない位置に入った後被害者が被告車に近寄りすぎた過失によるのであって、同被告の過失に基づくものではない。

四、同第四項(一)の事実中、被害者が当時国会職員として参議院事務局庶務課に勤務していたことおよび原告の相続関係についてはこれを認め、その余は原告が保険金二五〇、〇〇〇円を受領したことおよびその充当関係を除き全て争う。原告主張の被害者の生活費は過少であり、実収入の八割とみるのが相当である。同項(二)の事実は原告が被害者の妻であることは認め、その余は不知

第四、被告らの抗弁

一、無断運転(被告会社のみ)

被告車は前記のとおり試運転のため被告会社が一時保管していたものであるところ、被告会社で専らブルドーザー助手として使用していた被告荻野が、たまたま作業終了後帰社してこれを見付け、無免許であるにかかわらず職務に関係なく、しかも被告会社に何ら断りもなく、好奇心でこれを運転したものであるから、被告会社は本件事故当時は被告車の運行についてはなんら支配力を有せず、従って運行供用者ではなかった。

二、過失相殺

仮に被告らに損害賠償の責任があるとしても、被害者は当時飲酒酩酊して歩行していたところ、請求原因に対する答弁第一項のとおり、被害者は酩酊のため被告車に近寄りすぎてその後車輪に接触して事故に至ったものであり、被害者の歩行に際しての右過失が事故の一因となっているのであるから、賠償額の算定に当り、これを斟酌すべきである。

第五、抗弁に対する原告の答弁

抗弁事実はいずれも否認する。

第六、証拠≪省略≫

理由

一、(事故の発生)

(一)  被告荻野が昭和三九年二月三日、被告車を運転して神奈川県道八号線、通称鎌倉街道を鎌倉方面から大船方面に向け進行し、鎌倉市山ノ内七七六番地先(以下この地点を本件事故現場という。)を通過したことおよびその頃同所附近で被害者が死亡したことは当事者間に争いがない。

(二)  ≪証拠省略≫によれば、被告荻野が本件事故現場を通過した直後に、被害者が本件事故現場道路(被告車の進行方向に向って)左側に頭、顔等を圧されて転倒していたこと、同被告は本件事故現場附近で訴外杉山一行の運転するバスとすれ違ったが、その際、被告車は道路中央を進行方向右側にやや越えて右のバスに対向して進行していたのでこれとの接触を避けるため、同被告はすれ違う直前にハンドルを大きく左にとったが、本件事故現場附近は歩車道の区別がなく、その道巾は側溝を含めて七、九米にすぎないので、このため被告車は進行方向左側の石塀に衝突する危険を生じ、右にハンドルを切って辛うじて右バスとすれ違ったこと、被害者の転倒していた位置は右石塀沿いであり、かつその石塀の被害者の転倒していた地点に近い部分には新しい過痕が存すること、被害者の前記の負傷状況からする法医学的鑑定によれば、その死因は重量ある車体に轢過されたものであるとみられること、被害者着用のズボンに附着していた土砂と被告車のタイヤ側面に附着していた土砂とが同質のものであったことがいずれも認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

右の事実に、≪証拠省略≫の「バスとすれ違った直後、左前方の石塀から一米位のところに人影を認めたのでハンドルを右に切ったところ、左後車輪が何物かに乗り上げて落ちるショックを感じた。」旨の記載部分および≪証拠省略≫の「バスとすれ違った直後左後車輪の方でガタンという音と共にショックを感じた」旨の記載部分を綜合して判断すると、同被告が被告車を運転して道路中央をやや右に越えて本件事故現場にさしかかり、一旦前記のとおりバスとの接触を避けるため左に大きくハンドルをとり、次いで石塀との衝突を避けるため右にハンドルをとった頃に、たまたま同所(被告車進行方向)左側石塀に接近しこれに沿って歩行中の被害者に被告車の車体左側部分を接触、転倒させたうえ、左後車輪で同人の顔面、頭部等を轢過し、死亡させるに至ったものと認定することができる。≪証拠省略≫のうち、事故後被告車に血痕の附着が認められなかったとの部分も右認定を覆えすに足りず、他に右認定に反する証拠はない。

二、(被告会社の責任)

(一)  被告会社が当時被告車を占有中であったことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によると、被告車は、訴外三菱ふそう自動車株式会社が昭和三八年頃訴外名和久雄に売却したが、同訴外人が代金支払を怠ったため、これを右訴外会社が引き上げ、当時所有権は同訴外会社にあり、同訴外会社は他に売却先を求めていたが、昭和三九年一月下旬頃被告会社にその旨伝えたところ、被告会社から暫時使用してみてよかったら買う旨の申入れがあったので、同年二月一日ないし二日頃同車を被告会社営業所に持参してその鍵と共に被告会社に預けていたものであることが認められる。右事実によれば、被告会社としては、被告車を買取るか否かを決めるための相当な期間内は、その責任においてこれを保管し、原則として自由に、即ち個々の運行の方法、運転者の選定等につき任意にこれを決定して被告車を使用することができたのであって、被告会社は、いわゆる被告車を自己のために運行の用に供する者であったということができる。

(二)  (無断運転の抗弁)

被告荻野が被告会社の従業員であったことは、当事者間に争いないところ、前出≪証拠省略≫によると、被告会社における被告荻野の職務は専らブルドーザー助手であって、自動車の運転免許を有せず、本件事故当日被告車を運転するに至ったのは被告会社の仕事を終えて後職務に関係なく、被告会社に無断で飲酒の上の好奇心からによるものであり、予め被告車の運転を被告会社から許容されていたわけでもなかったのであるけれども、他方、同被告は前示のとおり被告会社の被用者として、当時被告会社の営業所内の飯場に起居しており、当日被告車を運転するにあたっても、付近を一廻りした後は直ちに元の同営業所前の空地に帰還することを予定していたものであることが認められる。右事実によれば、被告会社は被告荻野の無断運転中も被告車に対する一般的支配力を失うことなく、これを持ち続けていたものとみるべきであって、結局被告車の運行供用者として、被告車の運行によって生じた後記各損害を原告に対し賠償する責任がある。

三、(被告荻野の責任)

被告荻野が本件事故を惹起するに至った被告車の運転状況は前第一項(二)に認定のとおりである他、≪証拠省略≫によると前記バスとすれ違う際の被告車の速度は毎時四〇粁を下らず、しかも被告車の運行は右バスとすれ違う以前からやや蛇行気味であったことおよび接触直前まで歩行中の被害者に気付かなかったことが認められ、前示のとおり本件事故現場の巾員は七・九米にすぎず、また≪証拠省略≫によると同所は道路両側に商店が並び、車両、歩行者の通行量の多いところであると認められるのであるから、同被告の右のような運転は、同所を通行する歩行者および車両にとって極めて危険なものであることが明らかである。そして、≪証拠省略≫によれば、同被告は当夜被告車を運転する直前、日本酒五合、ウィスキー一合位を飲んでかなり酩酊しており、そのため運転に際して前方注視を継続することもできない状態にあったと認められ、同被告は、そのような状態であるのに漫然と同一速度で進行して前記のような危険な運転をし、しかも歩行中の被害者に気付くことがおそかった過失があり、本件事故はこの過失によって生じたものと認められる。

よって同被告は直接の加害者として、原告に対し後記各損害を賠償する責任がある。

四、(過失相殺の抗弁)

≪証拠省略≫によると被害者の死体解剖の結果、〇、〇八%の濃度の血中アルコールが検出されたことが認められ、これによれば被害者が本件事故前ある程度飲酒していたものと推認されるが、そのこと自体をもって被害者が歩行者としての注意を怠ったものとはいえず、他に被害者の過失を認めるに足る証拠は何もないから、被告らの過失相殺の抗弁は採用できない。

五、(損害)

(一)  被害者の得べかりし利益の喪失

被害者が、本件事故当時国会職員として参議院事務局庶務課に勤務していたことは当事者間に争いなく、≪証拠省略≫によると、被害者は昭和四年四月一三日生れ(本件事故当時満三四歳)の男子であって、国会職員として昭和三八年二月から昭和三九年一月までの事故直前一年間の給与収入は、所得税、住民税、社会保険料を差引いて金六〇一、三〇八円であったことが認められ、右事実によれば被害者は、本件事故がなければ厚生省発表の第一〇回完全生命表による満三四歳の日本人男子の平均余命である三六年余と同程度の年数は生存しえ、少なくとも満六〇歳位まで即ち、本件事故後二五年間は国会職員その他これと同等の地位にあって、少くとも原告主張の年間六〇〇、〇〇〇円の収入は得たであろうことが推認できるところ、原告本人尋問の結果によると、被害者の生活費は月額金二〇、〇〇〇円、年額二四〇、〇〇〇円程度であったことが認められ、将来も右収入のもとでは同程度の生活費を要するものと推認されるから、被害者は右年間収入から年間生活費を差し引いた年額金三六〇、〇〇〇円によって計算した二五年分合計金九、〇〇〇、〇〇〇円の得べかりし利益を失ったものということができ、これからホフマン式計算法により年五分の中間利息を差し引いた金四、〇〇〇、〇〇〇円がその一時払額である。ところで原告は被害者の妻であり、被害者の父である訴外清水耕作と二分の一宛の相続分をもって相続したことは当事者間に争いないところであるから、原告は右金額の二分の一である金二、〇〇〇、〇〇〇円の賠償請求権を相続したことになる。そして原告が、被害者の本件事故による死亡に基づき、自動車損害賠償保障法による保険金五〇〇、〇〇〇円の二分の一金二五〇、〇〇〇円を受領し、これを右請求権の一部に充当したことは、原告の自認するところで、これを差し引けば、原告が被告らに請求しうべき残額は、原告請求の金一、五〇〇、〇〇〇円を下らないことが明らかである。

(二)  慰藉料

原告が被害者の妻であることは前示のとおりであり、≪証拠省略≫によると、原告は昭和三五年七月五日被害者と結婚届出をし、以来夫婦生活を送っていたが、その間に子供はなく、本件事故による被害者の死亡後は、一人で下宿住いをしながら勤めに出て辛うじて生計を維持していることが認められ、これによれば原告が本件事故により多大の精神的苦痛を蒙ったことが明らかであり、右≪証拠省略≫によると原告は香典として被告から金三〇、〇〇〇円を受領し、その後代理人を介して原告と被告らの間に示談の交渉があったが結局妥結に至らなかったと認められること、および前示被告荻野の過失の態様等諸般の事情を考慮すると、原告の右精神的苦痛を償うべき金額は原告の請求する金五〇〇、〇〇〇円を下らないことが明らかである。

六、以上のとおりであるから、被告らは各自原告に対し前項(一)(二)の金額の合計金二、〇〇〇、〇〇〇円および本件事故の日である昭和三九年二月三日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、結局原告の本訴請求は全部理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉岡進 裁判官 羽生雅則 裁判官 浜崎恭生)

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